固定相場から、変動相場への歴史
1816年から1914年まで、世界中の通貨はイギリスポンドを中心に、金との値段で決まる「金本位制」でした。
「オンス(約30グラム)が何円になるか?、何ドルになるか?。
そして、第2次世界大戦後に、世界経済が大打撃をうけて混乱に陥ると、国際通貨基金(IMF)が設立されますが、米国は本土が戦地にならなかったため、経済的にも打撃がなくそれどころか戦争特需で一番恩恵を受けていました。
そこで、経済的優位に立ったアメリカは、米ドルとすべての通貨が固定され、米ドル自体も金と1オンス=35ドルで固定されたのです。
つまり35ドルあればいつでも米国は金1オンスと交換しますよ、ということになります。
これが「ブレトン・ウッズ体制」と呼ばれる為替制度で、71年まで続きます。
70年代になると、ベトナム戦争の戦費負担とほかの国からモノを買い続けて借金だらけになった米国は、突然ドルと金の交換を止めました。
米国のふところ具合が怪しくなると、今度はモノ(つまり金)で通貨の価値を測る事をやめ、ある通貨の価値を別の通貨の価値で測る変動相場制(フロート制)という全く新しい概念を登場させました。
現在、主要国のほとんどがこの変動相場制を採用しています。
日本が移行したのはわずか30年余り前で、それまでは固定相場制(ペッグ制)という、ある一定のレートに固定、あるいは決められた値幅に限定する制度を採用していました。
固定相場とは
固定相場は、動かないレートと言われる様に、通貨の交換率が固定されているものです。日本でも固定相場の時代があり、1ドルは360円と決められていました。
輸出においても、輸入においても1ドル360円で交換されていましたから、戦後の脆弱な日本でも安心して貿易ができました。
しかし、固定相場を採用しても、レートを一定に維持するためには固定した相手国の通貨を保有して、高すぎれば売り、安すぎれば買って一定に収めるという作業をずっと繰り返さなければなりません。
また、自分たちの国は相手国とは為替を固定しているつもりでも、変動相場制で相手国の為替レートが高くなれば世界全体の中で予期せぬ自国通貨高に見舞われることにもなるのです。
そこで、一国だけとの通貨の固定ではほかの国とのバランスが取りにくいということから、いくつかの貿易相手国に対して複数の固定レートを定める通貨制度を採用する国が1990年以降増えてきました。
これが通貨バスケット制と呼ばれるものです。
この様な変遷をしながら、日本は変動相場に移行しました。